こちらは覚念寺微笑み法話でございます。先週から住職が膝の手術で入院しました。今週には退院してくる予定です。早く元気になってくれることを願っています。住職がお寺の仕事を休んでいる間、今まで以上、家族で力あわせて乗りきる次第でございます。

 しかし、本当に住職が居ないと色々と今まで見えていなかったところが沢山見えてきました。住職が参っていた月忌参りやご法事、永代経を私が参らせていただきました。

 その中で住職の存在が非常に大きい事に改めて気づきました。皆さんも同じような経験があると思います。

 檀家さんからもこのような話を聞かせてもらいました。ある人はじいちゃんがいなくなって、庭の草がひどく生えてきていたり、またある人は裏の梨の木を消毒したいけどじいちゃんいなくなったからできないだとか、ばあちゃんがいつも作っていた昆布を炊いたオカズが食卓からなくなったりなど様々でございます。

 このように私達は何気なく暮らす日々の中で、自分には見えない所で誰かに支えてもらって生きているのです。

 見えない所で誰かが汗水流して働いていたり、見えない所で誰かが苦しんでいたり、涙を流したり、犠牲になっていたり様々な人が居るのです。誰一人、一人では生きていくことは出来ません。

 日々の生活を当たり前と思うのでは無く、共に支えあい感謝の気持ちを忘れず、生かされている自分なのだということに気づかせていただきました。

 次回の微笑み法話は121日に更新させて頂きます。またお聞き下さい。よろしくお願いいたします。

合掌



トップページ