宿業を受け止めて

 

 先日新聞に生後4ヶ月の孫さんの首を絞めて殺し、自分も又首を吊って自殺という事件が載っていました。内容はその子供の両親は耳が聞こえず、子供も耳が聞こえないということが分かりお婆さんは悲しみにくれてしてはいけないことをしてしまいました。

 小さい記事でしたがとても胸に迫り、せつない気持ちで一杯であります。そのお婆さん自身も耳の聞こえない子供を持って育てるのに大変な苦労をされたと思います。そしてその子がやっと結婚したと思ったら、又孫さんに耳が聞こえない子が生まれた。健康な人間がそのお婆さんのされた行動をその胸中も考えずに勝手な批判する事は簡単です。しかしこの方は本当に一生この孫が苦しむのなら私も一緒に死のう。それの方が幸せなんだと思い込まれたのでは無いでしょうか。

 歎異抄に慈悲に聖道浄土の変わり目ありとあります。浄土真宗における慈悲とは急ぎ仏となって思うが如くに助けとぐる事であると教えられてあります。私達より先に仏となってゆかれた方々が私達を仏にせんと仰って下さっている。その事実に気付くとき、私達は自分に与えられた宿業を受け止めていく、逃げるでは無く目をつぶるので無く、泣きながらも私に与えられた道を歩む。その時、その時陰となり日向となって私を支えていて下さる。仏と共にこの人生を歩む。それが往生浄土の道であると思うのです。それぞれの苦しみが転じて力となして自分の責任を果たさせていただく、仏と共に歩まさせていただく道がお念仏の大道であると思うのです。

 

合掌