虚仮不実の身に気付かされて

 

先日私はこのような経験をしました。実は時計を無くしまして、「確か電話の脇に置いたはずなのに・・・」とその近場や二階の部屋も真剣に探しましたがどうしても見つかりません。

 その時私の心の中では子供がどっかへ持っていったんだろうと思ったのです。1歳半ですからおもちゃと思って何処かへ持って行ったんじゃないか、小さな子に責任を押しつけて腹が立ったのです。

 又園子を毎日見ている女房が私の時計をおもちゃにしていたら注意をして取り上げて元の場所に戻してくれればいいのにと思ったのです。

 その時自分という者はつくづく勝手なものだなと思いました。そんなに大事なものなら自分で管理しておけば良いのにそれを自分の責任を棚に上げて小さな子や責任の無い人に対してまで怒りがこみ上げてくるのです。

 私達は煩悩の心で色んな所で問題を起こしています。自分の責任を棚に上げて他人批判をする。そしてそれが正しいと思っている。浅ましいものでありますね。

 仏教とは仏となる教えでございます。しかし、私達は自分の心を考えてみますと仏心というというものがまるで無いことに気付きます。例えが違うかもしれませんが人を助けたいとか何とかして救いたいという気持ちが湧くことがあります。しかし、やればやる程、私達の心の奥底に『私がこれほどまでにしてやっているのにあいつは・・・』という気持ちが起こってきたり、又逆に自分の力の限界を感じて逃避せざるおえない場合もあるとおもいます。私達はどうしてもエゴから抜け出すことは出来かねぬものであります。真剣に考えれば考える程自らの浅ましさに気付かされ、親鸞聖人でいえば虚仮不実の身に気付かされると思うのです。

 そういう私達を仏にせずはおられないと誓われたのが阿弥陀如来様でございます。恐れ入りましたとただただほれぼれとその慈悲のなかで生かされている私達でありましたと手を合わせていただく。それが他力念仏の道であると信じるのであります。

 

合掌