南無阿弥陀仏の御心

 

 「南無阿弥陀仏」は報恩感謝のお念仏。「ありがとう」という意味であると私は味わわせて頂いています。

 

 「南無阿弥陀仏」は決して加持祈祷のお念仏ではありません。例えばグリーンジャンボ宝クジ5億円が当たりますようにとか幸せになれますようにとか。そのように受け取るのは何か違います。

 

 そのような欲が日々私達を苦しめているのではないでしょうか。

 

 今自分達がしっかりと足の付いた人生を送っているかを我に返った時に自分はしっかりやっている。何の悩みや不安もなく今ここに居るのでしょうか。

 

 自分自身を見つめていると止めどなく自分とは何だろうという苦しみの渦に巻き込まれないでしょうか。

 

 一体何を拠り所として今この時を過ごせば良いのだろう。いたずらに過ぎていく時間に飲み込まれていないでしょうか。

 

 そこで自分自身の心の拠り所としてこのお念仏「南無阿弥陀仏」と出遇わせて頂くのです。

 

 この報恩感謝のお念仏は自分自身がいつどうなるか分からないこの命と向き合った時にそれぞれがそれぞれに深く味わうことができるではないでしょうか。

 

 生活している中で沢山良いことも悪いこともあって笑うことも涙することも人生には沢山あります。その一つ一つは阿弥陀如来様から与えられた私だけのお恵みでございます。そのお恵みに対してしっかりとまじめに向き合えば向き合う程自分自身の小ささや限界に気付かせていただくのではないでしょうか。そのような人こそ彌陀の慈悲が降りそそがれるのです。

 

往生要集に曰く

 

我亦在彼摂取之中 煩悩障眼雖不能見 大非無倦常照我身

 

意:わらまたかの摂取のなかにあれども、煩悩まなこをさへて見たてまつるに能はずといえども、大悲ものうきことなくして常に我身をてらしたまふ

 

私達一人一人に彌陀の慈悲は降りそそいでいるけれども、その御心に気付かずに煩悩の色眼鏡を通してみている私自身にも、彌陀の慈悲は間違いなく私達一人一人をてらしてくださっているのです。

 

南無阿弥陀仏

 

合掌