≪本願の力≫


 先日、面白い本を読みました。
 それは日本のあるところに、新しい村ができたそうです。日本ではたいてい村ができますと、その中心に神社を建てることが風習となっているようです。この村でも神社を建てることになりました。そこで村の人々が集まりどのような神様を迎えればよいかという話し合いをしたそうです。
 最初のうちは人の道を正しく歩めるような神様をお迎えしたらいいのではという話でしたが、ある人が「そんな面倒な神様よりも、人間の望みを全て叶えてくれる神様をお迎えしたらどうか」といいました。すると他の村人たちもこの意見に賛成し、人間の望みを全て叶えてくれる神様を迎えることにしました。
 初め神様を迎えてからというもの村人の望みは何でも叶い、みんなとても喜んでいました。
 ところが、その村に一人に美しい娘がいました。その美しい娘を何とか嫁にしたいという若者が2人現れました。その娘はどちらの若者にすればよいか迷っているところ、一人に若者がその神様のところへ行って、「どうか私と結婚させてください」とお願いしました。するとたちまちに願いは叶い、二人はめでたく結婚し、夫婦となりました。
 ところが腹の虫がおさまらないのは、もう一人の若者です。そこで神社へ行って「どうかあの2人を早く殺してください」とお願いをしました。するとたちまち願いは叶い夫婦は亡くなってしました。
 この話を聞いた村人達はこのままこのような神様を放っておくと、この村はどうなってしまうかわからないということで、村人全員が神社に集まって「どうかもう人間の願うことは叶えないでください」とお願いしました。それ以後は神様は人間の言うことを聞かなくなりました。というお話です。
 現代は人間の欲望を満たすために、次から次へと色々なものが生み出されています。いつか人間の欲望が満たされ尽くして、すべての人間が満足できる世の中が来るのでしょうか。そんな世の中は来ないぞというのが、先ほどの神社のお話の言いたかったことなのではないでしょうか。
 なぜならこの世の中は一人は立てれば一人が立たずです。朝お腹が空いてご飯を食べて満足しても、また昼にはお腹が空いてくる。昼ご飯を食べて満足しても、また夜にはお腹が空いてくるものでございます。これが私たちの姿ではないでしょうか。
 親鸞聖人は御和讃の中に『本願力にあいぬれば むなしく過ぐる人ぞなき』と仰っています。これは本願の力にあえば、満たされない思いで人生を送らなくてもよくなるということです。
 私たちはいつももやもやして気持ちが吹っ切れない人生を送っています。それは自分がどのようなものなのか、自分自身がわからないところからきているのです。本願の力というのはそういう私たちがどのようなものなのか目覚めさせてくれる働きです。自分自身の本当の姿に目覚めさせてもらえば、もやもやしている原因もわかって、心の底から晴れ晴れとした気持ちを味わえるようになるのではないでしょうか。合掌



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