こちらは覚念寺ほほえみ法話でございます。

今年は本当に暑い日が多く体調維持が大変と思いますが、お元気にお過ごしでしょうか。

さて、今回は仏様の教え、つまり仏法とは何かについてお話してみたいと思います

源信僧都は《仏は名医のごとく,法は良薬のごとく、僧は贍病人の如し》と教えて下されました。つまり仏様は名医のように、心に苦しみという病気を持った我々に法という良薬を与えてくださる。僧たる私達は良薬たる法を飲むことであると教えられました。仏様は「お前の心の病気は気がつかないだろうが自分さえよければよいという我執、執着が元だ」と診断してくださる。

新興宗教は病気が治るということをいいますが、診断が違うのです。もし治らなければ信仰が足りないとか家中のものが信じないからだといいます。

自分の思うようにしたいとか、思うようにならないと腹が立つとかお金持ちを見るとねたみ心が起こるとか、何時も自分が正しいと言い張るとか実はそれが心の病なのであります。そういう病気を「福も災いも共に素直に受け止めていく」という良薬つまり人生観を用意して下さるのが仏さまであります。贍病人である私達はその良薬を進めるのが働きであります。

仏法で一番、核心となるものは《我が身を知ること、我が身を明らかにすること、我が身が助かること、うなづけること》であります。我が身とは何かと問えば。

七高僧の一人善導大師は「自身はこれ現に罪悪生死の凡夫、広劫よりこのかた常に没し常に流転して出離の縁あることなしと信ず」と教えてくださいました。私達は中々自分が罪悪生死の凡夫だとは気がつきません。あいつが悪いこいつが悪いと責任を転嫁し、不平と不満と愚痴とねたみとそねみと、何時も何時もその心に振り回され安心の日々がないのであります。そういう自分が、罪悪生死の凡夫以外の何者でもない。地獄へまっさかさまの自分であるとうなずけたとき、私の苦しんでいる原因がわかってくるのです。

自分の心が見えてくると腹を立てたときの自分がわかってくる、けんかをした時の原因がわかってくるのです

そしてその煩悩だらけの自分をこそ目当てとして五劫という長い時間をかけて四十八願を建てて下された。凡夫が凡夫のままで助かる道を示して下された。往生への道を指し示して下された。念仏申さば仏になる。この心にうなずけた時本当に申し訳ないとお念仏が申させていただける、南無阿弥陀仏と申した時、往生は間違いないのであります。

次回は10月に法話が変わります。またよろしくお願いします。

合掌


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