「生きる道とは」

亡き人を思うときに一人一人、色々と思うことがあることと思います。

その中で御門徒さんからこのようなお話を聞かせていただいたことがございます。

「うちの爺さんが居なくなったら、裏庭の雑草がたくさん生えてきたよ。」

「うちのおばちゃんが居なくなったら、いつも晩御飯に出ていたおかずの一品がなくなったよ。」と言うお話を聞かせていただいたことがございます。

 生きている時はその一つ一つの出来事が当たり前のように目の前の日常にありましたが、いざ居なくなってしまうと本当に一つ一つの出来事というものは実は何にも変えられない尊いひと時だったということに気が付かされているのではないでしょうか。

 私自身もまだまだ元気な83歳になるおばあちゃんが居ます。しかし、数年前に脚を悪くしてただいまは車椅子生活でございます。

 おばあちゃんを思う時、色々な事を教えてもらったなと思います。挨拶や返事の仕方、細かく話でいえば箸の持ち方や魚の食べ方まで沢山あります。

 そのときは私自身、小さい頃なのでよく反発したものです。

しかし、今社会に出て色々な人たちと出会うご縁の中でその教えてもらったことは非常に大切なことだったと思います。

 人というものその時はなかなかその教えを素直に受け入れられず、なぜ時間が経って初めて気付くものなのでしょうか。

人間は決して一人では生きていく事は出来ません。家族や恋人や周りの沢山の人たちの願いによって生かされているのです。自分が居るからあなたが居る。あなたが居るから私が居ると言うように一人ひとりがみんなの支えの中で生きているのです。

 私達浄土真宗で唱えさせていただいている「南無阿弥陀仏」というのは、砕けた表現でいいますと「感謝の心」と解釈することが出来ます。

 蓮如上人の御文5-1の中にもあるように「ねても、さめても、いのちのあらんかぎりは称名念仏すべきものなり」とあるように、日々お念仏が心にある生活が大切なのではないでしょうか。

 このように、私達は目の前の日常を当たり前のように過ごしていますが、実はその一つ一つが非常に尊いことなのです。亡くなってしまったり、遠く離れてしまってはじめて気付くことと言うものがたくさんあります。その中で日常の中でのお互いを思いやる気持ちを忘れずに感謝の気持ちを持ってお念仏と共に生きていくことが私たちの生きる道ではないでしょうか。

合掌

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