こちらは覚念寺ほほえみ法話でございます。

やっと暖かくなってまいりましたが、皆様にはお元気でお暮らしでございましょうか。

今から約50年ほど前に新潟県の長岡に一人の老婆がいました。若い時からよくお寺の法座につらなって真宗の教えを聞いていたが、老衰して寝たきりになってしまった。命ある間に信心をはっきりしたいという切なる願いがあったがどうする事もできなかった。

ちょうどその頃、曾我量深先生という偉い方が近くのお寺にこられるという話しを聞き、嫁に先生の法話を聞き、その内容の要約を伝えてもらいたいと頼んだが、嫁は、「自分は先生の法話を理解してお母さんに伝えることはできません」と断った。

断ったものの、何とか一言でも姑に伝えたいと考え嫁は曾我量深先生に面会して、事情を話し、姑のために[真宗の教えをわかりやすく書いていただきたい]と切望しました。先生はその願いに応じてすぐ筆を取り 

  1. 仏様とはどんなひとであるか?

我は南無阿弥陀仏であると名乗っておいでになります。 

  1. 仏さまとはどこにいなさるか?

仏様を念ずる人の前においでになります。 

  1. 仏様を念ずるにはどのような方法がありますか。?

仏たすけましませと念じます。

だれでも、どこでも、いつでも、たやすく仏を念ずることができます。 

と書き与えられました。

姑はこの言葉を何度も読みそらんじてお念仏を申しながらお亡くなりになられたということであります。

南無阿弥陀仏と一念疑いなく自力の計らいを捨て、静かな心を持って、仏願わくはこの罪深き私を助けましませと念ずるのであります。

これは誰でもどこにいても、いつでも、悲しい場合でも、
うれしい場合でも、たやすく自由に仏様を念ずることができるのであります。この思いをもつ時、いかなる煩悩妄念が襲い来たっても、内心の平和は絶対に破れません。これを真の救済と申します。

南無阿弥陀仏


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