こちらは覚念寺微笑み法話でございます。

今回から20年あまり住職が続けて参りました微笑み法話を若である私が勤めさせて頂きます。何卒よろしくお願いいたします。

初めての法話は、『なぜ生きる。どのように生きる』というお話です。

私たちは日頃から悩みや苦しみの中で生きています。
どうやったら幸せになるのだろうか。どうしたら上手くいくのだろうか。

どうしたら、どうしたらと方法ばかりに目を取られて大事なものを見失ってはいないだろうか。

私たちはなぜ生きているのだろうか。なぜ生まれてきたのかということを。

いきなり難しい問題を出しているので私の身近な出来事を例えに話していきたいと思います。

今、私は小学生の野球を指導させてもらっています。
内野ゴロを捕るにはどうしたらいいか。フライを捕るにはどうしたらいい。どうやって投げたり打ったりなど、どのようにやるのか。どうやったら上手くなるのかという技術的なこと。もっというと表面的なことに目が行きがちです。

しかし、そのような事だけでは上達はしないと思いました。

なぜなら、同じ練習をやるのでも気持ちや志を持つことができなければ、指導もただの雑音にしか聞こえず、言葉として理解できないからです。

このような気持ちを持って、まずは気持ちの教育から始めることが大事だと思いました。

なぜ子供達は野球をするのかということ。

親に言われたから始めたという子も居れば、友達に誘われてやっている子と様々であると思いますが、やはり根底には野球が好きだからという気持ちがあるからだと思います。

簡単なことではないが、この気持ちを確かなものにし、深めていくことが何より大事であるのだと思いました。そして進歩や成長を生むのだと思います。

この気持ちが確かになれば、自ずと自分のやらなければならないことや、どのように進んで行かなければならないか、見えてくるものだと思います。

今は野球というものに例えましたが、人間が生きるということにも共通している気がします。

始めに言ったように私たちはどのようにしたら幸せになれるかということに目が行きがちだが、しかしそれは目先のことであり、逆に自ら迷いの世界へいざなっているのであります。

まずはなぜ生きているのだろうか。なぜ生まれてきたのか。

『なぜ』という言葉を常に根底において、自ら疑問を投げ掛けていくことで、自分自身と向き合っていくことが大事なことだと思いました。

次は111日に法話を更新させていただきます。またお聞きき下さい。

合掌



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